【広島 平和記念資料館】自由であるがゆえに衰退してしまう


ヒカリです。


「豊かさとは何か?」考えたことありますか?


たぶんわざわざ考えないですよね。



でも、最近私はこれを考えるきっかけがあり、無性にこの気持ちを残しておかなければ。という気持ちにかられたので記録として残しておきます。



で、そのきっかけというのは広島の平和記念資料館に行ったことでした。



まずこの資料館は想像を超えるものでした。



一言では到底表せられない。



トラウマになる人がいるのもわかる。



とにかく戦争と核兵器の恐ろしさ、同じ過ちをくり返してはいけないという想いが強く強く刻み込まれたものでした。


あー、戦争って本当に恐ろしいものなんだ。ってこの歳になってはじめて自分ごとに考えられたかもしれない。


だって、原爆が落ちる日の人々の生活を写真で見てみると、今の暮らしとなんら変わらないのですよ。


学校の制服を着た子どもたちが先生と楽しそうに笑っていたり、一つの食卓を家族が笑いながら囲んでいたり。


当時のまちの風景もそう。


普通に書店があって、銀行があって、生命保険会社もあって、商売をしているお店がいくつも並ぶ。


きちっとしたスーツを着ている人やおしゃれなワンピースを着た女性がそのまちを歩く。


まじで現代と変わらない普通の生活がそこにはあったわけです。

それが一瞬にして変わってしまったのです。



これが私の中でいちばんの衝撃的なことでした。


メディアで見た情報や聞いた情報など、そういったものではなく、やはり自分の足で見に行かなければ知り得ないことが多くあると思いましたね。


記憶への残り方が半端じゃない。



戦争は一瞬にて今ある生活を変えてしまうし、勝敗国関わらずその後生きる人の人生を苦しみ続ける。


あたりまえにある今の生活がどれだけ尊いものであるかを再確認できました。



学生時代とか戦争のことはほとんど知らなかったなあー。


日本が歴史上で唯一、核爆弾の被害にあった国であること。


こんなことも知らなかったと思います。


まあ拒むよね、知ろうとすることに。


社会人になってからは仕事が忙しかったし、心に余裕がなかったからまず知ろうなんて1ミリも思いませんでした。


それよりも楽しいことしたいわー!って。


けど、今回実際に私は自分の目で見てきて、今の暮らしがあるのは間違いなく戦争を生き抜いてきた人たちのおかげだから知らなきゃなって思いましたね。


行動の原動力はいつだって体験から生まれる。




このブログを記事にしているのもそうですが、


広島の平和記念資料館に行ってから「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」っていう映画も観ました。


クリント・イーストウッド監督が第二次世界大戦時の硫黄島での戦いを日米両方の視点から描いた映画です。


この2作はほんとうに観てよかった。


米国側からの視点はまた違うところがフォーカスされていて、戦争プロバカンダとか令和の日本にもある光景は興味深かった。


硫黄島は定期的に観ようと思う。


海を埋めつくす米国艦隊の数を見ただけでゾッとしたし、


そこで敗戦確実とも言える中で戦わなければいけない兵士たちの姿や想いもすごく胸に刺さるものがありました。


今の時代に生かせてもらっていることに本当に感謝しなければと、つくづく思いました。

日本に生まれたことにも。



私はこれをカナダに住んでいるときに強く感じたんですよね。


これを話して、この記事を終わりにしたいと思います。


今から3年前くらい。


私が学校帰りかなんかでバスに乗っていたときに70歳近いシリア出身のおばあさんに声をかけられたんですよ。


「どこの国から来たの?」
「カナダでは何をしているの?」
「どんなビザでカナダに滞在しているの?」

彼女は私に色々な質問をしてきました。


「日本から来たよー。」
「こういうビザがあって1年くらいレストランで働いてるよー。」


何気ない会話だと思った。


で、背景を聞いてみると、そのおばあさんはシリアにいる5人のお孫さんの話をしてくれました。


彼女のお孫さんたちは安全な国で暮らすために一刻もはやくシリアから出ようとしているそうで、難易度の高い医療分野を選択して勉強しているようでした。

そのおばあさんも50歳を過ぎてからカナダに渡ることを決意して、ようやくカナダに来れたと。



ですが、お孫さんは困難な中で学校を卒業したというのにビザが発給されず、


「毎日私は不安な思いで生きているんだ。」と、そのおばあさんは心情を明かしてくれました。


そして、そのとき彼女から言われたんですよね。

「日本に生まれてあなたは幸せね。うらやましい。」


って。



こういった言い方をすると語弊があるかもしれないですが、私は当時この日本という国で生まれたことへの有り難みを強く感じました。


世界には海外へ出たくても出られない人が多くいて、


彼女のお孫さんのように必死で努力をしても、自国を出ることを許されない人も多くいる。



その反面、私たち日本人はすごく恵まれてます。


日本のパスポートはほとんど規制がなく、行きたい国にはどこへでも行ける。


食べものにも緑にも恵まれているし、経済活動や働き方も自由が認められている。

日本は戦争を経てから、復興、高度経済成長と、祖父母時代・親世代は本当に激動の日を味わってきたと思う。


個人主義を排除し、自由を制限されながらも、人々は豊かな暮らしのためにがむしゃらに生きてきた。



こういった背景があって今の私たちの日本の豊かさはあります。


いつの時代もやらなければいけないのは、


シリアのおばあさんが50歳を過ぎてからカナダへ渡ることを決心したように

いくつになっても豊かさのために現状を変える努力をするべきだなと私は思います。



自由であるがゆえに、現状を変える努力をしなければ私たちは衰退してしまう。


私が当時住んでいたカナダのバンクーバーっていう街は、日本に比べてまじでストライキが多いんですよね。労働問題、環境問題などしょっちゅうストライキやってました。


で、結果として良い街でした。


実際にカナダのバンクーバーって街は、世界中の人が住みたいと集まってくる場所で、日本よりも安全な街と言われてるんです。


人のあたたかみをものすごく感じたし、否定がなく常に前向きな言葉を投げてもらったなって記憶があります。


現状を変える行動をしているからこそ豊かな街が作られるんだなーとこれもまた学びでした。



私が考える豊かさとは、安全であり、他人を喜ばすことであり、他人の幸せを喜べること。


今回、広島の平和記念資料館に行ったことをきっかけに今まで感じたことのなかった感情や考えに出会うことができたので本当に良かったです。


他人を否定するのではなく、常に与えていこう。と思ったのでした。